Saturday, August 26, 2006

オワッタ。


終わりました。ふう。涼しい夕方、3人でコンビニまで散歩して、宅急便で原盤マスターとデザインデータを発送し、ため息をついた。最期の方は同時に3台のコンピュータ、フル駆動で、ジャケットと盤面のデザインを横でしながらマスタリングをして、音の微調整をして聞き返している間にイラストレータでレイアウトをしていった。かなりハードだったが、やればできるんだなと思いました。何だかちょっと腑に落ちないが、余裕を持って時間かけて作りあげた時より 土壇場で焦りながら作った時の方が気に入ったものができるのはなぜだろう。直感が働くから?余裕がないから直感から来たものをいじりすぎないから?.............

なんて、焦りながらも、昨日の夜はうちの前の公園でioの保育園の仲間たちで花火をやった。日本の伝統の、小さい手で持つ花火って日本以外にもあるんでしょうか?アメリカには大きい打ち上げ花火しかない。アメリカの人はこういう危険な遊びを子供たちには絶対にさせない。ありえない。火遊びだもんね。この危なさは子供にとって最高だと思う。臆病なioも最初は私にばかりやらせていたが、次第に慣れて、ちょっと勢いのあるしゅわーってやつも進んでやるろうになって、嬉しかった。四大元素に対するリスペクトが生まれそうな気がする。素敵なことだ。

あと、夜の公園、というのも相当魅力的だったらしい。みなみ公園はあまり電灯が多くなく、アスレチックのところなんて夜はとても暗くなる。そこをきゃっきゃ言いながら暴走するし、こっちは転ぶんじゃないかってハラハラ。いつもの友だちと、いつもと違う特別でマジカルな時間を過ごすというのは楽しいもの。大人にだって必要だ。

Saturday, August 19, 2006

終わらない....

凄いことになっている。CDが終わっていない。今日までに全部仕上がっているはずでした。ようやく全体像がつかめる段階となったのでアルバムを通して聞くと、何か物足りない。そこで、いきなり昨日になってもう一曲加えることにした。トラックは幾つか制作途中のものがあったので一つ選んで、ストックしてある詞も一つ選んで、急遽メロディを書いて、ラフなガイドを入れて、明日練習して明後日ボーカルを録る予定。それでミックスに1日かけて全体のマスタリングを1日で終えて、プレス工場に送る。

うちは、もうシステムが相当古い。マックのG4に、OSは9.2とXをアプリケーションによって行き来しているけれど、トラッキングは主に9.2でやっている。製作環境は常に最新のものにアップデートするタイプの人間と、慣れた環境をいつまでも使い続けるタイプの人間がいる。私はどちらかというとテクニシャン系なので新しいものが出ればすぐにほしいのだが、サムは正真正銘のミュージシャンで、コンピュータも楽器の一つとして付き合っている。楽器とは使い込むほどいい。新しいコンピュータとソフトを覚えるのは面倒だし、そんな時間で曲をもう一つ作ればいいじゃないかという意見。そんな彼がちょっと羨ましい。

しかし、こういう時に限って古いシステムはフリーズ、クラッシュしまくって、余計に無駄な時間を費やしてしまう。二人とも焦って半分おかしくなっている。焦りは声に出てしまうので歌入れまでになんとか落ち着かないと。のどが固くなっている。

なんだか無謀すぎて笑ってしまう。(笑えねぇよ。)今度の週末までには解放されるのだけど、それがとてつもなく遠く感じる。

Wednesday, August 16, 2006

io、そして言語の発育のこと



娘のioは2000年に生まれました。今年6歳になって、来年から小学校。io は今のところ、英語の方が自由に自分を表現できるようだ。3歳の時から近所の区立の保育園に通っているが、入園した当時はきっと徐々に日本語の方が上手になるだろうなと予想していた。保育園は平日毎日、朝の9時から夕方5時頃まで。当然、友だちも先生も皆、日本語を話す。日本語の絵本を読み聞かせてもらい、日本語で遊んでいる。これだけ日本語の比重が大きくなると彼女の英語の発達は遅くなると考え、その頃から家の中を基本的に英語で話し、日本語より英語の本を多く読んだり、DVDは英語の映画という方針にした。(トトロなどのジブリ映画だけ例外。)テレビは栄養となるものが皆無どころか、毒が多いと判断したので、アンテナをつなげていない。

実はこの方針は私自身の子供の時の経験に基づいていた。自分は3歳でアメリカに行って、現地の幼稚園と学校に通い、中2で帰国した。前もちらっと書いたことだが、今も日本語の生活は居心地悪く、英語の方が表現しやすい。読み書きは英語の方が楽で、スキストのリリックを含め書く詩はすべて英語になっている。夢も多分、英語で見ていると思う。

そんな経験だったので、ioの場合は単純に自分の例の逆(日本語が得意、英語が苦手)を予想していた。ちがった。そりゃそうだよね、こういうことは平べったいロジックが通用するはずがない、生きている個人なんだから個人差があるんです。彼女は私よりも内向的で人見知りで親にベッタリ。ホメオパシーで言うとpulsatilla(プルサティーラ、ポースティーラ:カタカナ統一してくれないかな)が驚くぐらいぴったり。そんな彼女はどんなに外で時間を過ごそうと、家の中の時間が精神的に最も充実していて、のびのびできる時間。

しかし、年長にもなると子供はかなり口が達者になり、話すことが遊びの中で重要になる。女の子のクラスメイトはみんなテレビアニメに夢中で、もちろんその話にはついていけない。どうやら保育園では既に6歳という若さでアウトサイダーになっている様子。見た目もダブル(「ハーフ」じゃないよ)というのも関係あるだろう。彼女が時折浮かべる表情が、私には覚えのある表情で、辛かったりする。自分の「ちがい」を肯定的に受け入れながら大きくなっていけるように祈っている。

Monday, August 14, 2006

Skist ジャケ写

スキストの来月リリースのニューアルバムのジャケ写真を撮った。来月のツアーに間に合わせるためには、来週までに全ての製作を終わらせないといけない。

スキストの場合、録音やミックスはもちろん、 マスタリング からCDジャケットの写真撮影、レイアウトやデザインまで自分たちがやっている。それはなぜかと言うと、全ての行程を納得して完成させたいから。例えば、外部のエンジニアに頼んだ場合、録音とミックスは大体同じ人が担当して、録音という長い行程をずっと付き合うのでその音楽を深く密に知ることになり、信頼関係が築かれるけれど、マスタリングというCDの原盤を作る大切な作業は通常、マスタリング・スタジオに持ち込んで、初対面のマスタリング・エンジニアと一緒に1日で仕上げることが多い。自分の音を初めて聴く人に数時間だけで最善の音質や音圧を判断してもらったり、アルバム全体の流れ方と聞こえ方に影響する曲間調整をその場で決定するのは、私はやりたくない。だから自分のスタジオでじっくりやる。もちろん、プロのマスタリング・エンジニアの腕にはかなわないけれど(マスタリング・エンジニアで巧みな人は本当に魔術師なのよね)、勉強しながら苦労もしながら自分の欲する音に近づける。

しかし、じっくりやる時間がなくなってしまった。今週中にマスタリングまで終わらせないといけないというのに、まだミックスでああだこうだと調整しながら、ちょっと焦ってきた。ブログ書いてる場合じゃないんだけどね。

父とホメオパシーの勉強

週末は2日連続、ioとサムをおいてホメオパシーのセミナーに出かけた。サムありがとう。


土曜日と日曜日、10時から17時過ぎまで勉強。時間の長さと、窮屈なセミナールームで7時間も集中してノートとりながら講義を聞いて座っているのはとてもハードだった。でも、マジで学校に行きたいと思っているなら、こんなもんじゃないはず。セミナーの内容はベーシックだったのに比べ、学校となったら運動不足の私の脳と弱虫精神には厳しそう。


今回は父も引っ張って行った。何年も皮膚炎で悩んでいる父にホメオパシーを去年(無責任ながら自分自身がホメオパスにかかってみる以前に)押し付けてみたら、時間はかかったけれどとても良くなったので、本人も乗り気で「一緒に行く」と言ってくれた。


父と二人だけで出かけるのは子供時代以来初めて。子供の時はよく一緒に釣りに行ったが、たぶん家で長時間留守番させるわけにいかなかったから仕方なく連れていかれたんだと思う。住んでいるアパートメントの裏の林を抜けたところにある小川でニジマスやうなぎを釣りに、あるいは夏なんかは少し遠出してチェサピーク・ベイ へ、よく出かけた。


ホメオパシーの講義なんて、時代もシチュエーションも全然違うけれど、父らしいのは、これを別に珍しくも何とも思わなかったところ。で、母が作ってくれたお弁当を食べながらキャンピングカーが欲しいとかホメオパシーの理論についてこれがわかんないなぁ、とか、お母さんにはこのレメディが合いそうだよな、とか話をするのは楽しかった。

Sunday, August 13, 2006

学校に行きたい

大学を卒業した時からずっと大学院に行きたいと思っていたのだが、時間と現実が許してくれなかった。まぁ、それを本当にプライオリティにしたなら行けたはずだけれど、他にやりたいことが同時にあったので(音楽と翻訳)そっちへ行ってしまった。

当時は大学院で英文学をもっとディープに研究していきたいと思っていた。特にアイルランドのサミュエル・ベケットや、20世紀の文学と思想を専門にしたかったのだが、今は特にそういう希望はない。現在もベケットを敬愛しているけれど(17年前、私の誕生日に死んでくれたし)すでに6年前から自分の視線と希望と怒りが違う方向を向いている。

てなわけで今勉強したいのはホメオパシーである。何年も前に、尊敬する友人がホメオパシーを知って彼女が家族のために使い始めた頃に教えてくれたのだが、ピンとこなかった。ずっとピンとこなかった。そして、ようやく今さら、えらくピンと来た。しっかり勉強してほんまにホメオパスになろうと思っている。なぜ?自分のクリエイティブなビジョン、社会的なビジョン、そして自分がメンバーであるこの家族のビジョンにフィットするから。もちろん健康面も精神面も。なんでこれが見えるまでこんなに時間を要したんだろう。別にいいけど、熟成する時間って必要だったんだろうし。学校探します。

Monday, August 07, 2006

日本語

日本語って難しい。自分は帰国子女で、ティーンエイジャーの時にアメリカから日本へ戻ってきた時点で日本語での会話は大体できたんですが、どこかきっと、ヘンだったと思う。そして今はと言えば、やっぱりどこかヘンなのだと思う。訛っているわけでもないのに、口の中で言葉の形がおかしくなってしまい、舌がもつれる感じ。しゃべりだけでなく、ブログをこう書いていてもぎこちないし。それもあってこのブログを英語ではなく日本語で書く事にした。自分のこの居心地の悪さを見つめたいんでしょうね。

だけどよく考えてみると言語力の問題ではないことが最近わかってきた。実際は英語でも日本語でも自分のことを話すのは苦手。帰国した思春期に言語環境が入れ替わって自分の言葉が何なのかわからなくなったので、自分自身を言葉で表現するのが面倒になってしまったから。そして生活と家庭において大人として機能しなければならない今になって、この自分を言葉で表現できないことが凄くネックになって、悩むことが多い。パートナーとしっかり言い争いのケンカができない、とか。問題があった時にはそれを言葉に出せず、飲み込んでしまい、常に押え込んだ慢性の病気のようになっている。現在はこのブログを書くこと、そしてちゃんと口論ができるようになること、というのが課題でありセラピーですね。

Friday, August 04, 2006

Skist ニューアルバム

スキストという音楽ユニットをパートナーのサムとやっている。9月下旬に、実に4年ぶりにニューアルバムをリリースする予定。2000年にioが生まれてから自分がろくに子供以外のことに集中できなくなったのが原因。それは私だけね、サムにはそんなことはありません。まったくの予定外の出産だっただけに、その体験のすべてが新しすぎて珍しすぎて消化するのがやっとの毎日がずっと、今だって、続いている。こうしてずるずると音楽活動が停滞してしまい、前のオーディエンス達も離れて行くのは当然。今年から本格的に再始動して製作に打ち込むと、サムと互いに約束。大事なプロジェクトなので期待感で妙に子供っぽくハイになっていると同時に、緊張している。

9月末からはスキストでオーストラリア・ツアー。もちろん、io連れ。ライブ会場でステージ脇に毛布を敷いてテディベアと一緒に寝かせる予定。連日、そんなツアーのスケジュールにつき合わされる6歳の人は大丈夫だろうか。会場は劇場からパブまで様々。どきどき。

水の窓よりはじめまして + ともだちの6歳のお誕生日

Water Windows. 水の窓?このタイトルの説明はまたいつか。このブログはじめてのエントリーです。

今日は仕事の締め切りが迫っているというのに近所に住むお友達のバースデイ・プレゼントを探しに、出かけた。来週6歳になるみくちゃん。今年春に6歳になった私の娘、ioの誕生日のときも思ったけれど、6歳ってプレゼントを見つけるのがちょっと難しい。小学校にあがる前の微妙な年齢。大きい子たちの領域のものに徐々に興味を持しはじめる頃でありながら、まだ幼児らしさが残っていて、できることとやりたいことのバランスがデリケート。ioへのプレゼントは5歳まではなんとなくレールが敷かれていたように、人形、ままごとキッチンと道具、ドールハウス、もっとお姉さんの人形、などとスムースでしたが、今年は悩んだ。結局選んだのは、小さな折りたたみのイーゼル。これが大当たりで、よろこんで水彩絵の具で驚くほど抽象的な絵をペインティングしている。

そして今日、みくちゃんにやっと選んだのは小さな織り機。やはり、アクティビティや工作的な玩具を選んだ。それは、これから手先を使って物を作って欲しいという気持ちと美の感覚を育てて欲しいという願いを込めているんでしょうか。ところで、ioには4歳のクリスマスにドールハウスをプレゼントしたけれど、ときどき遊ぶ程度で、期待したほどはまらなかった。さっき見たら、百町森さんのサイトにはこう書いてあった。『ドールハウス遊びは、小学校中〜高学年くらいから本格化して、中学生くらいまで続く息の長い遊び』そうか。

これから仕事にかかろうと思ったら、もう保育園へ ioを迎えに行く時間。