io、そして言語の発育のこと
娘のioは2000年に生まれました。今年6歳になって、来年から小学校。io は今のところ、英語の方が自由に自分を表現できるようだ。3歳の時から近所の区立の保育園に通っているが、入園した当時はきっと徐々に日本語の方が上手になるだろうなと予想していた。保育園は平日毎日、朝の9時から夕方5時頃まで。当然、友だちも先生も皆、日本語を話す。日本語の絵本を読み聞かせてもらい、日本語で遊んでいる。これだけ日本語の比重が大きくなると彼女の英語の発達は遅くなると考え、その頃から家の中を基本的に英語で話し、日本語より英語の本を多く読んだり、DVDは英語の映画という方針にした。(トトロなどのジブリ映画だけ例外。)テレビは栄養となるものが皆無どころか、毒が多いと判断したので、アンテナをつなげていない。
実はこの方針は私自身の子供の時の経験に基づいていた。自分は3歳でアメリカに行って、現地の幼稚園と学校に通い、中2で帰国した。前もちらっと書いたことだが、今も日本語の生活は居心地悪く、英語の方が表現しやすい。読み書きは英語の方が楽で、スキストのリリックを含め書く詩はすべて英語になっている。夢も多分、英語で見ていると思う。
そんな経験だったので、ioの場合は単純に自分の例の逆(日本語が得意、英語が苦手)を予想していた。ちがった。そりゃそうだよね、こういうことは平べったいロジックが通用するはずがない、生きている個人なんだから個人差があるんです。彼女は私よりも内向的で人見知りで親にベッタリ。ホメオパシーで言うとpulsatilla(プルサティーラ、ポースティーラ:カタカナ統一してくれないかな)が驚くぐらいぴったり。そんな彼女はどんなに外で時間を過ごそうと、家の中の時間が精神的に最も充実していて、のびのびできる時間。
しかし、年長にもなると子供はかなり口が達者になり、話すことが遊びの中で重要になる。女の子のクラスメイトはみんなテレビアニメに夢中で、もちろんその話にはついていけない。どうやら保育園では既に6歳という若さでアウトサイダーになっている様子。見た目もダブル(「ハーフ」じゃないよ)というのも関係あるだろう。彼女が時折浮かべる表情が、私には覚えのある表情で、辛かったりする。自分の「ちがい」を肯定的に受け入れながら大きくなっていけるように祈っている。
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