Saturday, September 30, 2006

オーストラリア、ニューキャッスル

朝の7時にシドニーに到着した。フライト的に言うと、これはかなり快適。特に子連れの旅行にはおすすめだ。だって、夜の、ちょうど寝るぐらいの時間に出発して、朝起きたら到着しているという理想的な時間帯。しかも時差、1時間だけ。アメリカ大陸、ヨーロッパとなると、時差ぼけで2日間のロスが出るのに対して、それがないのはとても大きい。

ところで、ioは昔から旅上手。赤ちゃんの時からだ。長時間移動でも文句を言わず、旅のこういう工程も楽しむのでとても助かる。生まれて3ヶ月ぐらいの時、神戸から東京まで戻る新幹線が大雨のため、一晩以上名古屋駅のプラットホームに止まったまま動かなかった。新幹線の席での宿泊、すごかった。ioは全く問題なく、静かにずっと18時間ぐらいその満席の新幹線の中でおとなしくしてくれた。

シドニーの空港を出て、空港の真下の駅で、シドニーの北のニューキャッスルという街までの切符を買う。両替したばかりのお金を一つ一つ確かめながら窓口で料金を払おうとすると、列の後ろにたっていた女の人が「ハイ、小銭分出してあげる」といって、ちょうどの金額を出してくれた。親切だ。オーストラリア人の第一印象ベリーグッド。でもオーストラリアの小銭って、大きさと金額が反比例していることが多くて、直感に反するので使い難かった。

建物の素敵なセントラル(中央)駅で乗り換えてニューキャッスル行きの列車に乗る。ニューキャッスルまでは長距離列車で3時間弱。ちょっと古めの列車で、きれいじゃないけどいい感じ。
窓からの景色を楽しむ。ヘンな植物や木がたくさん、建物もスタイルが変わっていて雑多で、列車の旅は外が見られるからいい。

レンタルした携帯電話でSkistが出演するミュージック・フェスティバル、This Is Not Art/Electrofringeのオーガナイザーに到着時間を知らせる。ニューキャッスルに着くと、向いにきてくれていた。20代後半の、誠実な感じの青年。ホテルへ行って、チェックインして、食事をしに出かけた。

ニューキャッスルはオーストラリアの番目に大きい街らしいのだが、そうは感じない。不景気らしく、駅とホテルが面するメインストリート沿いには空き店舗が目立つ。こんな田舎町でどんな食事が見つかるか、不安だったけれど、オーガニックでフリーレインジ(放し飼い)の牛肉のハンバーガー屋さんを見つけた。大きいし、とっても美味しい。

翌日はSkistのアーティスト・トークと、夜にはライヴ。アーティスト・トークではCDからの曲をかけながら曲作りについて話をすすめる。質問が多い。東京のシーンについて、詞の内容について、するどい質問がくる。私は人前で歌うのはぜんぜん平気なのだが、話をするのはとても緊張するタイプで、心配だったのだが、ここでも、オーストラリア人はとても和やかでリラックスできた。

その後のライブは難しかった。アーティストトークは街の役所のようなところで行われて、終わって急いでライブ会場へサウンドチェックしに向った。つくと、やはりその夜同じステージに出演するAriel Pinkという人が延々とリハーサルをやっている。時間が結局足りなくなって、私たちはサウンドチェック無しで本番を迎えてしまった。
システムが良くないのか、エンジニアが良くないのか、ステージ上の音はこもってまるで明瞭さにかける。低域がうぉ〜んとして、楽器の音程もつかめないほどだ。その割にはよく歌えたよと、サムは言ってくれたけれど、私はへこんでいた。ボーカル・バンドにはサウンドチェックは欠かせないのだ。
次のシドニーが上手くいくよう、願うしかなかった。

Sunday, September 24, 2006

風邪を引いてしまった。まずい。あと3日でオーストラリア・ツアーに出発だというのに、咳が出ている。ボーカリストとして、これは大変なこと。

私は、ホメオパシーという自然療法に出会ったのは、出産してからずっと6年間慢性の咳に悩まされてきて、どの医者へかかってどんな検査をしても、原因と解決法を見つけられなかった末、疑いながらも試してみたのがきっかけ。今では自分の生活の欠かせない一部となっている。

とは言っても、ホメオパシーを始めたのは数ヶ月前のこと。そう、ここ数ヶ月でとても生活が変わったのだ。子どもの時から母が食べるものに気を使って添加物をさけたり合成ものもは使わなかったり、自然への負担を考慮するように育てられてきたので、当初の疑う気持ちがすっきりすると、ホメオパシーはごく自然でロジカルな次の段階としてすんなり受け入れた。

私が6年間引きずってきた咳は、ぜんそくのように激しい発作が起こり、とても苦しかった。ライブ中でも発作が起る事があった。ライブをするのがとても不安になったし、ひどい日は電話に出る事さえできなくて、人に会うのもイヤで家にこもっていた。ホメオパシーとは特に慢性の病気に威力を発揮するのだが、私のケースもまさにそうだった。現代医学で疾病的原因が見つからなかったので治療ができないと言われ、症状を緩和する薬しかもらえなかったのに対して、ホメオパシーでは疾病の名前などどうでもよい。自分の状態を部分部分に分解して分析するのではなく、自分全体をみてくれて、自分に合う治療法を進めて、みるみる改善していった。

でも、今はもの凄い不安な気持ちでいっぱい。本当にキュアされたかどうか、これで判明するのだと思うと、怖いし、自信がなくなってきた。このまま、再びぜんそくの状態に陥ったら、ツアーにも致命的な影響をおよぼすのだから。ごほっ。

Wednesday, September 13, 2006

美術館

ioは保育園を休んで、おばあちゃんと私と一緒にうらわ美術館へ展覧会を見に行った。絵本作家のJosef Wilkonという人の作品を紹介していた。Josef Wilkonの絵の世界は非常に個性的で、動物や人間に対する愛情に溢れていて、以前からすごく惹かれていたが、実際の彫刻や原画を見ているとそれが本当にダイレクトに伝わってきて、感動した。

ioは美術館は赤ちゃんのとき以来初めて。最初のうちは楽しんで、「お〜い」と叫んでるようなかっこうの2匹の大きなエリマキトカゲの彫刻の前で私と一緒にそれを真似したりでよかったが、その後一点一点ゆっくり見ている私のペースではつまらなくて不機嫌になってきた。その上、ある彫刻に近寄り過ぎたのか、美術館の人に注意された。触っちゃいけないことはioだって解っているので、ioは自尊心を傷つけられたらしい。確かに、かわいい動物をできるだけ近づいて見たいのは当然のこと。きっと作家自身だって触って欲しい、と思って作ったような気もするし。そして、何かに怒ってついに私のことをぶったので、叱られた。これで2回もパブリックな場所で(彼女的には)屈辱を与えられたため、それからはずっと膨れっ面。この日は私もイライラしていて、せっかくの楽しい美術展を満喫できなかった。ため息。美術館は、まだ無理なんだろうか。でも、後から反省した。前もってioに十分説明して、美術館というシチュエーションをもっとビジュアライズできるようにしておくべきだった。また、行ってみたいと思う。

Tuesday, September 12, 2006

CD 完成

CDが工場から届いた。ジャケットの印刷は質がとてもいいし、丁寧で大満足。音は、シビアに言えばベストではないかもしれない、でも満足のいく程度だ。もっと時間をかければ当然良かったんだろうけれど、ある程度「ここまで」って決めないといつまでたっても完成しないものだから、これはこれで良しとする。前回のアルバムからまる4年も経ってしまったのだから、すこし焦っていたということも事実。次回のはもっと落ち着いた制作ができるようにしたい。

今のところ、日本でのディストリビューターがいないのが困る。ツアーから戻ったら早速さがす予定だが、とりあえず、アメリカのオンライン・ショップのCD BABYというところへ何枚か送っておく。あとiTunesにも。

これから数日間はオーストラリアのツアーのプロモーションで忙しくなる。インタビューやメールのやり取り、プロモーションようの資料を送ったり。でも、インターネットのおかげでこの作業も比較できないほど簡単になった。誰でも言っていることだけど、インターネットってインディペンデント・アーティストのもの凄い見方だ。10年前の苦労が信じられないほどだし、アーティスト同士の交流も飛躍的に豊かになっている。すごい。

Friday, September 08, 2006

自然公園

先週の土曜日は天気がよかったので、弁当を持って保育園の仲間たちと荒川自然公園へ出かけることにした。

2週間前、近くの公園で花火をしたことは書いたが、あの時、ioがあんなに自由に、解放されたようにに遊んでいるのを見て私は驚いた。彼女の保育園にいるときの顔が見えてなかったのだ。あたりまえだけど、家にいる時のioと、保育園の仲間といっしょにいる時のioは少しちがう人なんだ。(保育園に隠しカメラ設置したい、とサムがいつも言っている。)家族で出かける時、ioは人見知りで親にくっついていることが多いので、つい保育園でも引っ込み事案タイプだろうと勝手に想像していた。多少はそうかもしれないけれど、それだけという単純な人間じゃないのでした。失礼しました。決めつけていました。大人の私の方が単純でした。

自然公園には朝の11:00から午後3:00すぎまでいたけれど、ioは私をまったくほっぽっといて友だちと遊びまくった。私は、他の親たちはとても好きなんだけれど接点があまりないため、話に参加することは少なく、ちょっとだけ寂しい思いをしながら子どもたちを眺めていた。

Thursday, September 07, 2006

io のべんきょう

今日私は風邪をひいてしまって、だらだらと家で過ごしている。忙しいのが一段落すると、すぐこれだ。だらしがない。ティッシュの箱が離せない。鼻の奥の、のどに近いところがヒリヒリしてる。だるい。AconiteもNux VomicaもKali-bichも当たらず。

明日はioに保育園を休ませて、うらわ美術館で絵本画家のヨゼフ・ウィルコン (Josef Wilkon)の展覧会を見に行こうと思ったのに、どうだろう。彼の絵は本当にキャラクター性が強くて好きだ。彼の動物たちがしゃべったら、それぞれがまったく違う声を発するんだろう。見たいな。あぁ、関係ないけどミフィ嫌い。ioはミフィちゃん大好きなんだけど、ね。

ioは、アメリカに住んでいれば今日当たりから小学校だ。早いなぁ。本人にそう言うと、「勉強する」っていきなり言い出した。わお。だから今週から数字とひらがなと英語の文字とのワークブックで、一日15分程度、勉強することに。同じ歳の友だちはもうとっくにひらがなも書けるし、数字なんてあたりまえ。でもioは今までちっとも興味がなかったので勧めてもだめだった。数字の1から10すらあやしい。この勉強熱心が続くといいけれど、まず親がしっかりしないと。私のせいで三日坊主となってはいけない。

ところで、私が小学校へ上がったとき、文字はまだ書けなかった。1年生で文字を覚えて、やさしい言葉のスペルを覚えて、すこしずつ本を読み始めた。当時はそれで十分だったし、2年生になる頃には本に夢中になっていた。今の子みたいに早くから読み書きなんてできなかったし、両親も読み聞かせなんてろくにしてくれなかったけれど、一人っ子だったので、読み始めてからは子供時代は本が一番の仲良しだった。だけど今は時代がぜんぜん違う。Amazonで英語のワークブックを探していたら "100 Words Kids Need to Read by 1st Grade" (1年生までに子供が読めなくてはならない100語) なんて題名のワークブックが出てきた。脅してんのかい。"NEED TO" なんてないよ。つい腹がたってしまう。子供の"しなくてはならない" なんて遊ぶことぐらいだ。と、思うのは、もしかして私ぐらいかも。周りを見ていると。

Friday, September 01, 2006

io の心配ごと

うちは、もの凄く狭い。こういう間取りは、日本では2DKというのかな?「D」のダイニングと言えるようなスペースはほとんど無いから、2Kと呼ぶのか。とにかく、4.5畳程度の広さの寝室がioのお部屋になっていて、6畳間がメインの部屋で、リビングと私たちの寝室を兼ねている。

ioは赤ちゃんの頃から(夜中の授乳がなくなってから)自分の部屋で、自分のベッドで寝ていた。時々、怖い夢を見ると夜中に泣き出したりすることもあったが、落ち着いたらまた問題なく眠りについていた。以前はよく近所の子育て友だちに驚かれていた。「小さいのに一人で寝かされて寂しくないのか」って。そんなに珍しいことでもないと思ったんだけれど、「アメリカっぽいね」と言われたり、極端な場合は「かわいそう」と言われたりもした。

でも、我が家の方針では一緒にいる日中は、べたべたブチュ〜だの、ギュ〜だの、愛情をいっぱい注いで身体を触れ合うことをして、夜寝る時や、一人になりたい時に行く自分のスペースを持たせて、自立心を育てるべき、という考えだ。愛情をたっぷり受けてこそ自信が生まれると思っているからだ。逆に、これもよく言われていることだが、私が見ていても日本の多くの家族は身体的な愛情表現はとても少ないようだし、夜一緒に寝ているからって子供は特に「愛されている」という確信が芽生えるだろうか。まぁ、それぞれの文化にそれぞれの子供の愛し方があるのだろうから、批判するつもりは全くないのだが。

それに、大きい家で親と寝室が離れているならともかく、夜中に怖くなったり寂しくなって声を出したら、こんなに狭い家だからよく聞こえるし、すぐに行ってあげられる。同じ部屋にいるようなもの。

しかし、どうなっているんだ。最近、ioは自分の部屋で寝たくない、寂しい、ここでパパとマミーと一緒に寝る、と言いだした。それも彼女としては珍しく、本当に深刻そうな泣き方で。一生懸命説得して自分のベッドで寝かせても、夜中にこっちが最も深く眠っている時刻に泣いて起される。これがずっと続いた。ついにこっちは体調を崩しそうだったので、お昼寝マットを敷いて私たちと一緒に寝かせた。これが今も続いている。ここで寝ているととても幸せそうなので、仕方ないのでしばらくはこのままにさせてあげようと思う。

原因が思いつかないのだ。原因などないのか。あるいは、赤ちゃんの時にした手術のトラウマがよみがえっているのだろうか。私のおなかの中にいるとき、超音波検査でioに卵巣膿腫が発見され、生まれて6ヶ月の頃 手術で卵巣を一つとらなければならなかった。あまり泣かない、明るい赤ちゃんだったけれど、お医者さんに抱っこされて手術室に連れて行かれたとき、ioはその場に残された私たちに手を延ばしてそれまで聞いたことのない声で懇願して泣いた。パパもそこで泣いてしまったし、私たち3人の心に深いトラウマとなったことは確か。当たり前すぎるけれど、ほんの一瞬でも赤ちゃんを親から引き離すとダメージを与えてしまう。病院も、麻酔で眠ってしまうまで親を側にいさせてあげるべきだ。当時、それに気がつかなかった自分を責める。

とにかく、ioが自から自分の部屋で寝る、と言い出すかどうかは分からないが、時々話し合いをしてみて、安心して納得してくれた時点で戻ってもらう予定。今のところ、ダメだ。